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[4コマ漫画] こもれびシュトラーセ 第3話

[4コマ漫画] こもれびシュトラーセ 第3話

まんがタイムきらら 2024年6~8月号に掲載された4コマ漫画です。 中世ドイツを舞台に、主人公の少女「ニコル」たちの日々が描かれます。 ここでは前半部分を試し読みとして掲載します。続きは同人誌で!

解説 Juno

クース

 モーゼル河畔の街、クース。なんと実在します。正式にはベルンカステル-クース。あんまり行ったことある人はいないだろうけど……日本での知名度は例えばかの有名なノイシュヴァンシュタイン城やらローテンブルクやらに比べたら全然だが、きっと本来もっと日本人ウケする街だと思う。おとぎ話の世界、テーマパークみたいに(もしくはそれ以上に)キラキラして宝石箱みたいに美しい街だ。しかもワインが安くて美味い。地上の楽園である。やや行きにくいのが難点か。フランクフルトからコブレンツまで行って、コブレンツからまた特急に乗り換えて……例えるならば日本の近江舞子(滋賀)。湖西線に乗り換えなければ辿り着けない。あまりにも通な街。筆者はトリーアで生活していた約一ヶ月の間に課外学習で訪れたことがあるが、その美しさと文化の豊かさに結構な衝撃を受けた。それをなんとなく夕凪先生にお話したところ興味を持ってもらい…という流れがある。なお作中クースは実在のベルンカステル-クースと全く同じというわけではありません。  トリーアで仲良くなったドイツ人曰く「クリスマスマーケットは毎年クースに行く」とのことで、やはり地元民的にもあのキラキラした旧市街の出立ちはクリスマスを想起させるものなのでしょう。  今は崩壊していますがトリーア大司教が夏を過ごしたとされる居城の廃墟も近くまで行って見学できます。お手軽にはできない聖地巡礼先としてご検討を。

市長の妻

 当時の市長や市長の妻といった人は一体どんな人だったのか、そもそも妻って一人で勝手に出歩けるのか? など色々なことが気になった読者諸兄、ごもっともです。同時代の日本は鎌倉時代になればこそ女子も分割相続を認められ、妻問婚から嫁入り婚への過渡期であったとされているものの、近い時代に著作活動をしていた派手な女性たちが「清少納言」「紫式部」などニックネームで呼ばれたり、「菅原孝標女」「藤原道綱母」など親族男性との関係性を示す呼び名しか伝来していなかったりと、なかなか本邦では女性たちがその性質をフラットに見出すことが重視されなかった時代、ドイツではどうだったんだ……? となっても無理はない。掲載誌が掲載誌なので女性の地位云々というところはあんまり拘っても蛇足かもしれんが、当時の市長という立場は多くの場合名誉職のようなもんで、生計を立てるだけの収入が確保された現代の政治家とは趣がかなり異なる(私は町内会の会長だと思っている)。つまり何らかの生業によって財と名誉を持ち、都市内の団体において発言権や地位を確立し、参事会や視聴経験者などの兄弟団から承認を得る、もしくは選挙的な手続を経て市長職たり得るのだが、それを支えたのが現代の自営業よろしく夫の事業及び家内を切り盛りする妻、あるいは別の生業に従事し十分な利益を産むことで夫を市長業務に専念させる妻だった例が多々あったのだ。女性でツンフト長(ギルド長)というケースも当然あった。このへんは日本の男女観で想定しているとギャップが大きいかも知れない。キリスト教社会は第二話の項でも触れたが「女性は司祭になれない」など宗教的観点においてはかなり強烈な男尊女卑思想がある一方で、こういう生活に直結する部分では容赦なく万人に労働を強いてくる。まさに様々なレベルであまねく全人類に「祈り、働け」という美徳の前提を徹底させるのかもしれない。  なのでもしかするとマルガレーテ女史も何らかの生業に従事している可能性があるし、そうでなければ都市門閥の名家として半ば貴族のような暮らしをしているかも知れない。仮に門閥家門が参事会員及び市長職を独占している街ならニコルの割り込む余地は非常に厳しいものとなるが、そういう場合のためのツンフト闘争である。この市長の掘り下げはたくさん見たいところであった。

時祷書、というか当時のお祈り

 時祷書は時課の典礼というやつに用いる。ムスリムのそれと同じようにかつては敬虔なキリスト教徒も一日に度々祈りを捧げていた。しかし当時の一時間は厳密に六十分と定まっていない。日の長さによって微妙に変化した。ヨーロッパは緯度が高い国が多いので季節による日照時間の変化が激しい。そのため街中で鳴る鐘は必ずしも一年中均一な時間に鳴るわけではなかったらしい。天智天皇が聞いたら発狂しそうだ。こういうところも七世紀から寸分違わずやりがちな本邦と欧州事情の乖離を感じさせられる。  有名どころでは「シチリアの晩鐘」やミレーの「晩鐘」など、一日の終わりに祈りを捧げるという光景は古来から数多く事件の舞台や題材になっている。つまりはそれだけ人々の祈りが日常の一幕であり当然の風景だったということ。モニカがマルガレーテの使い込まれた時祷書を讃えるシーンがあったが、その敬虔さはしばしば美徳として人々の称賛の対象となった。故に人々は大事な時祷書を修復しながら大事に使い続け、財産としたのだろう。

本の修繕なんて修道女がしたんですか?→しました。

 で、ここでまた疑問に思うだろうポイント。前話でもそうだが、世俗の彼女らは修道院と交流しすぎではないか? たしかに修道院は俗世間と隔絶し、個人の信仰心と対峙する聖域である。同時に修道院はしかし、まだ行政も社会福祉も機能していない当時において重要なセーフティーネット機関であり、民衆救済の場として、あるいは旅人や訪問客のもてなしの場として機能した。前項では茶化して「イ○ンモール」などと表現したが、さすがのイオ○モールでも貧しい女性の出産を手伝ったりはしないだろう。というか妊娠出産が医学の領分に組み込まれる近代以前、長きにわたりそれらは民衆の、もっと言えば女性たちの互助と経験によって支えられていた。智の集積機関たる修道院も当然その役割を担ったし、今回のように時祷書を作ったり修復したりということも当然あったはずだ。ある程度のコネと代価は必要だっただろうが、昨今でも大枚を叩いて厄除けの祈祷をしたりはするし、高僧の書など言われずとも価値の高さが窺える。徳の高い修道士(女)によって作成された時祷書はそれだけで価値が何倍にも高まったに違いない。

漫画で写本の修繕のお話を描くために、実際に当時と同じ方法で羊皮紙に絵を描かせてもらえる講座に参加したりしました。彩飾写本の体験講座のレポートはこちら (夕凪ショウ)


漫画本編と解説の続きは、同人誌「こもれびシュトラーセ」に掲載予定です! ゲームマーケット2025秋とコミティア154での頒布をお楽しみに♪